まず最初にご注意願います
このブログでは広告は出さない設定にしているのですが、どういうわけか出てしまっています。クリックしないようお願いします。
どこのご家庭でも同じでしょうが、我が家では、子どもたちはもちろん自分の父親や母親のことを「お父さん」、「お母さん」と呼びます。
自分の親だから当然ですよね。ま、「パパ」、「ママ」もあるでしょうけど。
そして夫婦間でもお互いを「お父さん」、「お母さん」と呼び合います。
ですから、この記事の中で「お母さん」と書くのは、筆者自身の親のことではなく自分の妻のことになります。
どうでもいい冗長な説明ですね。
さて、長い間お休みをさせていただいておりました
まだ、訪問者100そこそこ。表示数160くらいのちっぽけなブログですから、心配をしている人もいないでしょうが、突然記事を書き続けることが出来なくなり行き詰まっていました。
そうこうしているうちに、これまた突然に体調を崩し風邪をこじらせた結果、重症の気管支炎になり入院治療をしておる始末となりました。
65歳の高齢者になると、自分の自慢だった体力もいつの間にか失われてたかが風邪一つで、悪くすると肺炎にもなりうる程の病気になってしまうほど微弱な体力になっていたことに驚くばかりです。
このブログに載せている筆者のプロフィール筆者のプロフィールをご覧いただければおわかりいただけると思いますが。実は筆者は慢性腎不全を患って現在透析生活を続けております。
透析患者は当然の如く、体力や病気などへの抵抗力が著しく低下するので、風邪ごときで気管支炎、肺炎などは当然予想すべきことだったと思うのです。
自分の若き日の自慢の体力を過信するなど以ての外、不養生で家族みんなに迷惑をかけてしまって反省しきりの出来事だったのです。
かなり長い前置きになってしまいました。この記事はごく内々の家族間で読むことを想定して書いていますから、一般の方が読んでもクソつまらん記事だとは思います。この記事にあたってしまった方には申し訳ないことだと、さきにお断りしておきます。
鮎斗君のこと
鮎斗君のことに関しては、鮎斗君のプロフィールをご覧いただければそちらで書いていますので、ここでは詳しく説明しません。
お母さんの苦悩
表題にある「鮎斗君のお母さんの苦悩」と言うことに関し、少し話したいのです。
それは長男の一本の電話から始まった。
「布団を新しく替えたほうがいい」と長男がお母さんに言うのです。
それよりも以前にこれもまた電話で「オイルヒーターを買ってあげるよ」ということがあって、ヒーターを買って持ってきたのです。
そこまでは良かったのですが、「布団を替える」ことに関してはお母さんは深く、深く考えてしまったのです。
自分が思うに、長男としてはお父さんの体のことを心配し長男なりに考えてそう言う言葉を発したのだと理解していますが、お母さんはその夜メールで「涙が溢れて止まらない」と訴えた。長男が言う「布団を替える」ことがお母さんの心を抉ったのです。
お母さんは、お父さんが病気で倒れてから会社を追われて、透析生活になって住宅ローンを抱える経済的困窮を支えるため、数々のいじめに会いながらも早朝から夜まで働き詰めになり体力の限界になっていた。
お父さんが急遽の入院で、仕事のストレスで疲弊しきっていたところに、更に鮎斗くんの介助が加わりもうボロボロ状態で心の平静をギリギリ保つのがやっとの状態だったのです。
そこに「布団を替えたほうがいい」の一言で心の均衡が一気にくずれたのでした。
部屋の温度管理、衛生状態の管理保全(つまりお父さんへの気遣い)が不十分だと非難されたと思い込んでしまったのだ。
もちろん、それはお母さんの思い過ごしで、長男もそんなつもりで言ったのでは無いとわかっています。
(部屋が寒い、布団を干さないから埃っぽく不衛生だ、だから体調を崩すんだといわれたと思い込んだ)電話口の長男の一語一句、言葉の端々や微妙なニュアンスからそれを感じ取っていたのだと思う。
「涙が溢れて止まらない」の一言のメールには続けて、切々と訴えかける言葉が滲んで並んでいた。
お父さんが一番言いたいこと(願うこと)
”お母さんの心が弾けた”と思った。悲しみに満ちた一句、一句に私も泣いた。
お母さんどのように鮎斗くんに接し自分を犠牲にしてどれだけ献身的に尽くした30年の月日、結果として最重度の障害者としてはどれだけ優しく、おとなしく、にこやかで穏やかな人間に育て上げたかを知っています。夫が病に倒れてもこれも、献身的に働き、家計を助け家族を守ってきたか、私はよく知っている。会社では矛盾に満ちた激しいいじめにあっても負けまいとして立ち向かっている姿をずっと見て来ています。
そんなお母さんの姿を知っていますから、どうして私に対する管理が悪い、気を使え、などとどうして言えるでしょうか。
もとより、今回の私の病気はそんなことではなく、年齢的な確率からいっても根底にある「慢性腎不全」での透析生活から見ても、不摂生が引き起こした十分起こり得る単純な病気だったと思っています。自分が自身でもっと自分の体に注意を払うべきだったのです。
そんなことは長男にも十分わかっていること思いますが、ちょっとだけ思慮が足りなかったのだと思う。
もう少しだけ、これを言ったらお母さんはどう思うのだろうと考えてほしかった。父としては、父のことよりお母さんの苦労を察し優先して考えてほしかった。という事だ。
自分は13歳の時母を、25歳の時父を亡くして、今の長男の年齢の時は孝行する親もなく父や母へいたわりの言葉を言った覚えは無いから、親の気持ちなどわかるはずも無いが、もちろん息子からヒーターをプレゼントされれば、父を思ってのことだと嬉しい気持ちが先に立つ。
しかしお母さんの場合はそう単純ではない。今までの苦しかった思いが走馬灯のように、津波のように押し寄せ自身を打ちのめしてしまうのだ。
今後考えてほしいこと
何度もいうが私にはなにかしてあげる親はいないが、どうか自分の家族を大切にしてほしい。親にかまっている暇があったら自分の家族をもっと大事にしてほしい。そういう姿を見せることが親への思いやりだと思いますよ。
嫁がどのように娘たちを育てているのか、どのように家庭を守っているのか、しっかり見届けてその労に報いてあげてほしい。父の願いはそれだけだ。
とは言っても、結局私はそれができていなかった。
私自身の反省
結婚してから、仕事、仕事で家庭を顧みず表面上は家庭を守っているふりをしながら、自分の好きなことばかりにかまけて家族旅行の一つも連れて行ったこともない。長男が生まれたその日でさえも釣りをして一人で楽しんでいた。長い人生のほんの20年だけは稼いだが、定年まで勤めを全うもできず、住宅ローンを残したまま経済的困窮を招いた上病気に倒れる最悪の状況に陥った。言うまでもなく家庭を、家族を守りきれなかった。
家庭を守っているのはお母さんなのだ。それを確認してほしい。
どうか自分の家族を家庭を大事にしてほしい。具体的にどうやるかはお前次第だ。
長い人生35歳からの20年、30年はあっという間、夢のごとしだ。
10年後45歳のとき、どうなっているか、どうなっているべきか想像しぜひ夢に向かって計画を練ってほしい。
親にかまっている暇は無いぞ。
クドクドと冗長な言い回しもあったと思う。がまんして読んでくれてありがとう。