2011年、大震災が起きた日の事を思い出した。そしてその翌日、鮎斗君とゴーストタウンの様な街を連日ドライブしまくった

鮎斗君
どっかと腰を据えた水石山
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大震災の翌日、東電福島第一原発が水素爆発を起こし、放射能を撒き散らした。

 

東電福島第一原発が水素爆発・・・

福島第一原子力発電所事故(ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょじこ)は、2011年(平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震による地震動津波の影響により、東京電力福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融(メルトダウン)など一連の放射性物質の放出を伴った原子力事故である。国際原子力事象評価尺度 (INES) において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類される。2015年(平成27年)3月現在、炉内燃料のほぼ全量が溶解している[4]東日本大震災の一環として扱われる[5]。2019年3月時点でこの事故に起因する帰還困難地域は名古屋市とほぼ同じ面積、337km2となっている[6]

 

  • 3月11日 地震発生
  • 3月12日 15時36分 1号機爆発
  • 3月12日 16時50分 NNNで全国放送
  • 3月14日 11時01分 3号機爆発
  • 3月15日 6時14分 4号機爆発

 

爆発により放出された大量の放射性物質は、初めは南向きの風に乗って関東地方へ拡散したが、北西への風に変わった夕方に降り出した雨で土壌に降下し、原発から北西方向へ延びる帯状の高濃度汚染域を作り出した。

引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

あまり正確には思い出せないが、テレビで報じられたこの事故のニュースで放射能が拡散していることを知った。街からは人々が姿を消していた。街中の道路から車も消えた。それはまるでゴーストタウンのようだった。

 

爆発で放出した大量の放射能は、後に北西方向へ風向きが変わって、相馬地方へ流れ出し大汚染を招く事となったが、爆発当初の頃は南風に乗って、この”いわき市”にも飛散ていたから、誰しも放射能の恐怖から逃れられる事は出来なかったはずだ。

 

鮎斗君はいつもの公園で・・・

 

大地震が発生して、大変な思いをして鮎斗君を迎えに行って以来、翌日以降、鮎斗君の通っている施設は休園になってしまった。施設自体は被害が無く、壊れてしまった訳ではないが、道路の隆起、陥没で通行不能になり通園バスの運行が出来ないからだった。

 

そして更に、放射能の飛散の恐怖から施設職員の多くが自主避難の名目でいわき市を逃げ出してしまったため、極めて長期間に渡り休園のため自宅待機を余儀なくされたのだ。

 

その結果、しばらく鮎斗君はお父さんと一緒に自宅で過ごさざるを得なかった。鮎斗君についてはプロフィールを参照ください。)

 

その頃は、鮎斗君のお父さんはまだ透析導入前だったから特に問題はなかったが、しかし、放射能が拡散している中、毎日の様に散歩に出かけるのは非常に心配だった。その頃のニュースなどでその放射能の濃度は ”普通のレントゲン写真一回分より少ない” とのことだったが、鮎斗君は家で過ごすことは無く、常に外に出歩いている事が多かったので、家でじっといることは無く、連日お父さんと21世紀の森公園へ行って公園内を散歩していた。

 

被災地救援の自衛隊前線基地

 

 


(自衛隊車両のイメージ)

大震災と原発事故の直後から21世紀公園は自衛隊の前線基地と化していた。園内に立ち入りは禁止されてはいなかったが、多くの自衛隊所有のオリーブドラブ色で軍用塗装された車両(バックホー、グレーダー、給水車)が並んでいた。
公園内にある野球場(グリーンスタジアム)が前線本部になっているらしく、ここにも、オリーブドラブ色の車両がずらっと何台も止まっていてその物々しさはやはり今は非常時なんだと思い知らされた。

 

その時鮎斗君は・・・

 

公園内での鮎斗君はお決まりのコースを回り歩くパターンだった。まず、駐車場に車を止めると7、8メートルほど石段を上がってサッカーコートに出てその一番奥にあるトイレに入ってトイレを済ませる。そしてそこから球場へ向かうが、その手前にある自販機でコーヒーを一缶買って手に持って球場の周りをぐるっと一回りする。

 

そこから来た道を折り返して、最初に入ったサッカーコート奥のトイレまで戻ると、用は足さずに手だけ洗って、最初に上がった石段のところにある自販機の前で、最初に買ったコーヒーをぐびぐびと飲み干す。そしてそこでデカビタを一本買って、そのまま今度はその奥にあるラグビーコート前へ向かう。

 

誰もいない駐車場

ラグビーコート前の石畳

 

広大な公園内にはラグビーコート、サッカーコートや先ほどの野球場がある。最近では更に体育館もできたようだ。とにかく広い公園内の各施設の要所要所に自販機が設置されているので、鮎斗君はその各所の自販機でジュースやコーヒーを買うのが一通りの行動パターンだ。ともかく、ラグビーコート前の自販機で缶コーヒーを一本買うと今度はどこへ行くでもなくその場を行ったり来たりを延々と繰り返す。

 

公園内の施設、施設を連絡する通路は石畳(多分レンガ)になっている。ラグビーコート前からサッカーコートまでの間も、なだらかな上り坂が100メートルくらい続いた石畳になっている。そこでは若い人たちがスケートボードを楽しんでいる。普段なら犬と散歩する人やジョギングを楽しむ人達が結構たくさんいて、広い駐車場にも一定数の車はいつも止まっていた。あの事故以来自衛隊の車両が止まっている以外は殆ど一般の車両は無く閑散とした静けさが不気味なほどだった。

 

時どき自衛隊の車両から出てくる隊員たちが鮎斗君の方に視線を向ける、(こんな時に散歩ですか?)とでも言いたそうだ。でも鮎斗君もお父さんもそんなことは気にも留めずに、延々と行ったり来たりを繰り返します。お父さんは鮎斗君が自分から帰りたくなるのを辛抱強く、ただ待ち続けるだけだ。いつもそうして、2時間か3時間は公園内に留まった。そんなことを毎日毎日繰り返していた。

 

しかし、暫くすると自衛隊車両が公園内で人身事故を起こしたらしく、安全上のため公園内へは一般人の立ち入りが禁止になってしまった。その後、自衛隊が公園から撤収するまで21世紀公園には行けなかった。

 

放射能を浴びたか・・・

 

21世紀公園を締め出され、行き場を失った鮎斗君とお父さんは、それでも家にじっとして居られるはずもないから工業団地にある公園や三崎公園へ行く毎日になってしまった。

 

毎日、毎日出かけて外の空気を吸っていたわけだから、きっとかなり沢山の放射能を浴びていたんだろうなと思う。でも不思議と放射能に対する恐怖心はなかった。鮎斗君はもちろんそんなことの意味など理解できないのだから、いつもの行動を繰り返すだけだ。そんな鮎斗君だから、放射能から守るためにと言って家に閉じ込めておけるはずもない。

 

しかし、こんなことを言うと世の中の人から批判されるかもしれないが、”あえて言うと” 国が危険だから避難しろと言わない程度の放射能だし、こんな小さな島国の中で全国各地に沢山の原発があるのだから、どこに逃げても安全な場所なんかない、言って聞かせても何も理解できない障がい者を連れてどこに逃げろと言うのか、ということだ。

 

鮎斗君が通う通所施設は地震の被害はなかったようだが、施設の職員たちが避難したため施設の運営ができなくなり、結局は守ってあげるべき弱い立場の障害者は真っ先に締め出されて行き場を失ってしまうのだ。

 

広島や長崎に原爆が落とされて、多くの人が被ばくをした。その時広島や長崎の人たちはどこに避難したと言うのだろうか。もしかしたら国や科学者たちは嘘を言っているのかもしれない。でもこの国に生まれて、この国に育ったのだから、信じるしかない。いわきの人口30何万人の内何人自主避難したのか、大多数は避難していないだろう。自主避難なんかしてたまるかという思いだ。

 

交通事故にあって命を落とすとか、がんに罹って命を落とすとか、いずれ落としてしまう命だから、どこに逃げたって同じじゃないか。いろんな人がいて、いろんな考えがある。逃げたい人は逃げればいいし逃げなくていい人はここにいればいい。お互いを批判はできないはずだし、しないでおきたい。自分は全てを受け入れてここにいると決めている。

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