釘打ち事件 障害者をそっちのけで障害を語る資格はあるのか 障害者を食い物にするのは止めてくれ

鮎斗君
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本当の理解

 

鮎斗君に障害がある事が分かってからしばらくして、まだ4歳か5歳の頃だったと思う。鮎斗君はお母さんと一緒に、とある ”障がい者通所保育施設” に通っていた。その施設は親も同伴で通園する所だったので、お母さんは車の免許を取って毎日一緒に鮎斗君を車に乗せて片道約20kmの道のりを通所していた。

 

ある時、お父さんも鮎斗君が通っている施設へ同行する機会があってその施設へ行った時のことだ。施設の園長とその施設の顧問をしているらしい医師の先生が、ある論文を仕上げるために忙しそうにやり取りしている。それはどうやら医師と園長の共作でその施設が行っている障がい者への療育とか支援とかがいかに優れたものかということを論文にまとめ、何処かの学会に発表するためらしい。

 

その施設は全体が古い木造の建物でその部屋への出入り口には木枠にスリガラスが数枚貼り付けてる引き戸になっている。部屋への出入りはその引き戸を「ガラガラ」と割と大きめな音を立てて開け締めされる。そこへ園児達が遊んでほしくて、「ガラガラ、ガラガラ」と引き戸を開けては締めてをひっきり無しに繰り返して入ってきては園長にうるさくまとわりつくので園長が他の職員等に指示してガラス戸の木枠とレール部とに戸が開かないように釘を打った。子どもたちが部屋に入ってこないよう締め出したのだ。園長と医師の先生は自分たちの業績を資料にまとめるのに夢中だ、”子供達なんかに構っていられない” という感じだった。お父さんはその釘を打って子供たちの侵入を防ぐという行為を目撃して「一体、何事だ?」と思わずにいられなかった。非常に妙な光景だと感じた。もっといえば、釘を打って締め出すという行為は、縄で縛りつけ拘束する行為に等しいのではないか。

 

自分たちの満足のための作業は、障害のある子供達をそっちのけでやる作業ではない。業績まとめかなにか知らないが、その子供達の親たちの前で平然と行われていることに、何か釈然としない物を感じた。そんな事は別の場所でやってほしい、釘を打ってまでもこの部屋で子供を無視して行われる行為って何の意味があるのか非常に疑問だった。そんな思いを抱いたのは自分たちだけではなかったと思う。施設の在り方、障害に対しての本質をはき違えているように感じた。

 

障害者を食い物に!

 

他にもおかしなことが色々あった。例えば、音楽療法、体育療法などだ。その療法の専門家が行う独自の療育法で、障がいのある人達を集めて療育するという団体を紹介されるのだ。そういったところは大抵、中々高額な費用が必要なことが多いようだ。鮎斗君の家は経済的にそんな余裕はなかったのでそういったところには行かなかった。他の親たちの中には、園長先生の教えに心酔している人もいて、言われるまま高額な費用を負担している事も珍しいことではなかったようだ。

 

自分は物事を斜めから見る癖がある。一度でも、”ちょっと変だな”と疑いの目で見てしまうと全体が、「これはおかしい」と思い込んでしまうのだ。音楽療法や体育療法が障がい者の療育法として間違いだとは言わないし否定もしない。しかしそのことに高額な費用が必要だとなるとどうしても、”障がい者を食い物にしているのでは・・・?” と思ってしまう。他の親たちの中にはそういう教えに心酔する人も少なくないようだ。障害を持った子供たちの為に、親のすべてをなげうっても高額な費用を払うのが親の務めだと思い込ませられている、“マインドコントロール” されているんじゃないかと思ってしまうのだ。

 

それから間もなくして、鮎斗君は養護学校の小学部へ入学することになった。その施設の他の親たちは養護学校に行っても、まだその施設に週に何回か通い続けているという(もちろん高額費用を払って)。鮎斗君の家も子供のために当然そうするべきと園長や他の親たちに言葉巧みに誘われたが、お父さん、お母さんはそれこそがマインドコントロールだと思った。結局はその施設とは決別しそれきり行かなくなった。

 

受け入れる

 

我が家の子育て方針は ”全てをありのままに受け入れる” 受容すると言うことだ。特に鮎斗君が自閉症だと判明した時もそうだった。その時はもちろん、自閉症がどういうものか何の知識も無かったが、それが病気ではなく生まれつきの脳の障害であり治らないということ、一生その障害という「強烈な個性」と付き合っていかなければならないということを早い時期に受け入れることが出来た。周りの人達からは「育て方が悪い」とか、「しつけが悪い」、「ちゃんと話しかけしてないんじゃないの」とか、無神経な物言いに傷ついて涙を流す日々もあった。30年前は今とは比べ物にならないほどの偏見があった様に思う。養護学校の先生でさえ必ずしも自閉症への正しい知識を持って療育してくれているわけでは無かったからその苦悩は並大抵ではなかった。

 

特に、お母さんは生活の全てを鮎斗君のために費やした。常に鮎斗君を見守って付きっきりで介助していたのだからお母さんの心労は極限に達していた。お父さんはせめて会社が休みのときぐらいはと鮎斗君を散歩に連れ出して少しでも長く時間をかけて、お母さんの為に時間を作ってあげることを心がけた。タオル一本持って清掃センターの入浴施設まで行って風呂に入ったりもした。そして鮎斗君はパニックを起こす時も多かったが、叱ったり強制したりしないでじっくり時間をかけて鮎斗君の気持ちが自然に落ち着くのを待つことを心がけた。耳や目から入る情報にも特に敏感でテレビから流れる音楽やスーパーのBGMなどでパニックになることも多かった。同じ種類の物を大量に買い込んだりしても、できるだけ家計の許す限り鮎斗君が満足できるように気持ちに寄り添うようにした。結果、家庭ではの台所の茶碗や皿が山積みになったり、洗濯物が山積みになっていてもそれは鮎斗君を常に見守り続けるために時間を費やしているんだから仕方がないことだと、お母さんの頑張りには頭が下がる思いで、感謝、感謝のお父さんだった。

 

そうしていつの間にか30年が過ぎて、パニックを起こすこともなくなり鮎斗君は大らかで優しくにこやかな性格に育ってくれた。時間はかかったけれど、そして、今でも偏見や誹謗中傷はあるけど、全てを受け入れて、そんなことにいちいち腹を立てたり、心を痛めたり、悩んだりすることも少なくなった。

 

鮎斗君がいてくれたから、お母さんがいてくれたから、お兄ちゃんがいてくれたから、ここまでやってこれた。本当にありがとう。

 

人は、人。私は、私。Going My Wayだっ!。

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