鮎斗君のお父さんの結婚とは

お父さん、お母さん
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若かった頃、お母さんとの出会いとは・・・

 

1983年、昭和58年11月27日に結婚して以来、平成の一時代が31年間で終わって令和も2年になった。あれから37年が経ってしまった。私(鮎斗君のお父さん)は29歳、お母さんは23歳の時だった。

 

出会い

私が ”お母さん” と初めて出会ったときの事は今でも脳裏に鮮明に刻まれている。私が27歳、お母さん21歳のときのこと。

 

私が、給食サービス委託会社に勤めて、小名浜の工業団地にある有名電気部品会社の工場の社員食堂で調理師として働いていたときだ。

 

厨房と食堂ホールを挟んだカウンターごしから、ホールの一番奥の向こう側に食堂利用者が出入りする入口のドアが見える。

 

いつものように厨房で調理作業をしていたある日、昼の営業が終わって一段落ついたとき、その入口のドアが開いて、次長が(この地区を担当する会社の直属の上司)一人の若い女性を連れて入ってきた。

 

小柄で華奢な体つきに、濃いグレーの生地に細かい黒いチェック柄のワンピースにエナメルの細いベルトを巻いていた。かかとの低いエナメルの黒いパンプスの爪先にはワンピースのチェック柄と同じデザインの蝶形リボンが付いていた。少しふっくらとした顔つきだが、緊張しているのか、固く結んだ唇がとても可愛らしく、肩の当りまである長めのボブにまだ幼さが残る顔付で、次長の後ろをチョコチョコと歩いていたのが印象的だった。

 

本部長が直々に郡山の女子短大に出向いて栄養士をスカウトしてきたと言っていた。その後、何日か経って小名浜にある社員寮に(借上げアパート)引っ越してきた。

 

入り口のドアから食堂ホールを歩いて食堂事務所までのほんの2,30秒間のシーンだったが、この瞬間のことが今でも忘れられない。

 

一目惚れとはこのことだろう。私は ”この人と一緒になる” と直感した。

 

楽天的計算なし

 

最近テレビなどでよく聞く若者たちの結婚感。「今の収入では結婚なんて考えられない」とか言っている話をよく聞くことがある。

 

37年前当時29歳、私の収入は手取りで月額11万円、年収で約190万円程度、お母さんは短大卒で手取り月額7万円、年収120万円ぐらいだった。たしか当時の高卒の初任給は11万円ぐらいだったから、決して高くない(低すぎ)収入だと思う。

 

出会ってから結婚するまで2年の交際期間があったが、彼女と出会って交際するのにお互いの収入のことなどは考えたことはなかった。個人差はあるだろうが、好きになって「この人と結婚したい」と思ったら収入のことなどは考えていなかった。好きになったら”まっしぐら”だった。

 

なんとか成るもんですよ。結婚当時、県営住宅の最低収入制限は年収200万以上だったから、二人の収入を合算して申請してやっと入居できた。2LDKで家賃は3万円弱ぐらいだったですよ。

 

正直、生活は楽ではなかった。貧しかったと言ってもいい。長男が生まれたときも、ミルク代に困って、独身時代に10万円で買ったステレオアンプをリサイクルショップに持ち込んでタッタの1万円で買い取ってもらったり、婚約指輪を質屋に持ち込んだりもした。次男には知的障害があったけど、その事で不幸だと思ったこともない。収入が少ないからと言って結婚を後悔したことは一度もなかった。元々、超楽天的な考え方だったんです。

 

そもそも、幸福ってなんでしょう?。経済的に恵まれているから幸せなんですか?。そんな事はないと思う。貧しくてもお互いを思いやる心があれば、土日も休まず仕事文句一つ言わないし、寝る時間もなく子供たちを育てて大変なのが分かっているから、煮沸消毒で哺乳瓶を焦がしても「大変だったね!」と言ってあげられる。信頼しあって、真面目に一生懸命やっていれば、そこに小さくても幸せを感じられるのだと思います。大丈夫です。なんとか成るもんですよ。

 

チャレンジ

でも、経済的困窮をなんとかしようと、チャレンジはしました。年齢も35歳になっていて転職も最後のチャンスだったから、思い切って転職を考えていたとき、たまたま求人広告に出ていた会社に就職できたのが超ラッキーだった(その後病気で倒れるまで22年間働いた)。その会社では土日も休まず、がむしゃらに働いた。その仕事ぶりが評価され、少しづつ家計も楽になっていったのです。まさに、何とかなってしまった。

 

偉そうなことは言えませんが、若い人たち、「収入が少なくて結婚できない」なんて言わないで”焦らずに、出会いを大切に、チャンスを逃さずにチャレンジ”もして見てはいかがでしょう。

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