鮎斗君のお兄ちゃんのゲームとお父さんの作戦 ゲームの達人に大学進学を仕掛ける 就職氷河期を乗り越えて行くぞー行くぞー行くぞー

鮎斗君
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『ファイナルファンタジー』に夢中

 

鮎斗君の4つ上のお兄ちゃんは。10歳の頃・1990年代から出始めていたスーパーファミコンやプレイステーションで、世間の同じくらいの年齢の子供たちと同様、テレビゲームに夢中だった。毎日、毎日朝から晩までゲームに明け暮れていた。お父さんはゲームには興味はなく無関心で、好きなようにさせていた。そのうちあまりにのめり込みすぎてゲーム中の敵キャラに負けると、泣いて悔しがるようになったので、お父さんは少し心配になった。

 

お父さんはその頃給食サービスの会社に勤めていて、仕事で使う献立作成システムを作るためにパソコンでのプログラミングに取り組んでいた。まだWindowsPCの前の段階でMSDOSという真っ黒な画面のOSを使う時代だったが、とにかくPCは得意分野だった。そんなこともあって、お兄ちゃんもゲームをやる楽しさから、ゲームを作る方向へ興味を持ってくれたらいいと思っていた。中途半端に禁止したりしないで思う存分、やりたいだけ、とにかく飽きるまでやらせた。しばらくして、Windowsの時代になって飛躍的に操作性がよくなったPCを導入。我が家のPCへの興味を持たせるため、時間を見てはゲーム形式のキーボード入力ソフトでキーボードの入力を覚えさせたリ、エクセルのVBAで足し算引き算の出来る簡単なコードを教えたりしていた。そうしているあいだにお兄ちゃんも少しはPCへの興味を持ってくれたようで、進んでキーボードを打つ学習をしているようだった。お父さんもブラインドタッチはそこそこ出来たほうだと思っていたが、暫くするとお兄ちゃんのブラインドタッチはお父さんよりずっとうまくなっていた。そうしてお兄ちゃんのゲーム脱却の下地ができていった。

方向性指南

 

お兄ちゃんは中学校に行くようになっていて少しずつパソコンの方に興味を移していき、自分から「スクエアに行ってゲームを作りたい」と言うようになった。そして、その度お父さんは「ゲームを作るには高度なプログラミング技術を身に着けなければだめだ。」、「それにはまず、大学に行って学問を積まないとだめだ。」そして、「そのためには中学でしっかり勉強して大学に進学できる高校に行かないとだめだ。」と、言い続けた。そのうち中学に行くようになるとゲームは少しずつやらなくなっていった。中学も後半になるとコンピューター学科がある大学に進路を定め、その頃、進学校として認知されていた高校に進んだ。少しずつ、お父さんのもくろみ通りになっていった。お父さんの考えは、大学に行けば現実も見えてくるだろうし、スクエアでゲームを作るという夢も、より現実的な新しいものに変わっていくだろうと思っていた。

 

お兄ちゃんは努力の末、お父さんの家系では初の大学入学を果たした。公立のコンピュータ単科大学に進んでくれた。暫くすると、お父さんが思った通り、スクエアに就職するとは言わなくなった。途中、ソフトウエア学科からハードウエア学科に転向した。さらに大学院へも進んでIT社会で生きていくための技術をみにつけたのだ。

就職氷河期

 

大学院卒業後お兄ちゃんは地元では名の知れた”カーナビゲーション、カーオーディオ、カービジュアルなど車載機器”を開発製造するメーカーに就職した。お父さんの作戦はまあ、まあ上手くハマって大成功だったようだ。

 

しかし、大学院へ行くと言い出したことは予想外だった。我が家の経済状況は住宅ローンや大学入学時の学資ローン、大学生活への仕送りなどでかなりひっ迫した財政難だったから、大学院入学は更に財政難を招き我が家の経済状況は大変な状況になっていった。

 

その頃は就職氷河期と言われていた時代の終りの時期で、学生の就職状況はまだまだ厳しいものが残っており、有名大学卒でもなかなか就職できないという時代が続いていた。なので、大学院卒のバッチを付けていたほうが就職には有利だろうと判断して、進学させることを決めた。もちろん卒業後は奨学金は自分で返す条件を付けたのは言うまでもない。進学直後2008年後半にリーマン・ショックがあって更に就職状況は悪化している時期だった。そして大学院を卒業したことが功を奏して、就職浪人することも無く、スムーズに地元企業に入社を決めてくれたことはお父さんにとってやっぱり嬉しい最高の出来事だった。お兄ちゃんの就職活動においては、東京など関東圏へ行くことは眼中になく、地元にる一流企業に行くことを第一に考えていたようだ。お兄ちゃんにとって、鮎斗君の存在が大きく関わっていた。鮎斗君はお兄ちゃんが大好きだし、お兄ちゃんも鮎斗君が大好きだったから就職によって鮎斗君から離れてしまうことは、考えられないようだった。

 

作戦勝ち

 

思い返してみると、お兄ちゃんがゲームに夢中になっていた頃、世間ではゲームは子供にはいい影響を与えないという風潮になってきていた。でも、お父さんは、あえて思う存分やらせたことが逆にいい結果となったと思っている。たまたま、そうだったのかもしれないが、中途半端に禁止することで、変な方向にストレスが向かわないで済んだという効果はあったのでは無いかと思う。
現在のこのIT社会の中で生きていくためのPC技術を身につける事が出来たのも、ある意味ゲームのおかげだったのかもしれない。

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