鮎斗君のお父さんの後悔 病名慢性腎不全とCOPD宣告で人生が暗転してしまったがそれでも生き抜く

病気のこと
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腎不全(じんふぜん、: renal failure

腎臓は、左右それぞれ約100万個のネフロンによって構成され、この組織が尿の生成、細胞外液中の電解質等の濃度を調節する働きを持つ(体液量・浸透圧pHを一定に保つ)が、この糸球体組織の機能が30%以下まで低下した状態を腎不全と呼び、10%未満まで進行すると透析治療が必要な「末期腎不全」の状態となる。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用

病名宣告、鮎斗君のお父さん後悔先に立たず

鮎斗君のお父さんは、2008年(平成20)54歳のときに”慢性腎不全”と診断された。市立病院、腎臓内科の専門医である医師は「大変な重篤な状態です。」と前置きした上で、静かな口調で更に「慢性腎不全のステージ3です。このままだと近い将来、人工透析を受けることになります。」と続けた。その後も医師はその病気に付いて話を続けたが、”奈落の底に突き落とされた”という表現がピッタリするだろうか、頭のなかでは「ガあーーン」と鳴り続けていて先生の話は全く耳に入らなかった。”俺の人生は終わったのか!”という感じだった。その後、頭は真っ白状態で診察室を出た。”何故だ、何で突然そうなるんだ”と繰返し自問自答したが、何をどうしたらいいのか全く分からなかった。

そもそもの始まりは、たまたま測った血圧が200を超えていたことからだった。”俺の体に何か異常が起きている”と思った。今まで自分の健康状態など気に止めたことが無かった。何の根拠もなかったが、自分の体は丈夫で健康体そのものだと思いこんできた。思えば17歳の時、尿路結石で激痛を味わった、25歳の時には、父が心筋梗塞で49歳の若さで亡くなった、35歳の頃、会社の定期健康診断で尿蛋白+1のサインが出ていた。自分の体を気遣うチャンスは何度かあったはずなのに、実に無頓着でその後何度も健康診断を受けて尿蛋白+1が+2になり、+3になっても尿蛋白が出ることの重要性、重大性を考えようともせず、無視し続けた。その結果こうなった。「疲れた時は蛋白が出ることがあるんですよ」と誰かの言ったことを鵜呑みにして”そうだよ、俺は疲れているだけなんだ、だから何でも無いんだ”と思い込ませて、病気の重大なサインを見ないようにしていた、逃げていたのだ。+1のときに何かしらの治療を受けていればこんなことにはならなかったと、後悔したが、今更気づいても後の祭りとはこのことだと思い知らされた。

その後は、COPD(閉塞性肺疾患)も発症して呼吸困難の苦しみも味わった上、20年勤めた会社からは定年まであと5年という時に退職に追い込まれ、収入を絶たれて経済的窮地に陥る、一瞬にして人生は暗転、地獄の苦しみを強いられることとなった。
しかし、生来、楽天的性格のお父さんは、「死なずに済んだだけでもありがたい」と思えるようになった。透析導入になった今も「つらい、苦しい」と思ったことは一度もない。病気を受け入れ残りの人生を全うして行く準備は出来ている。

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