鮎斗君のお父さんの修行時代 グランドシェフからライオンズクラブのパーティー料理を教えられた

会社員時代
この記事は約5分で読めます。

鮎斗君のお父さんのお仕事

25歳のころ、今は倒産して無くなってしまった地元の老舗デパートの4階にレストランがあってそこでアルバイトで働いていた。後にリニューアルして6階に移動したが、某お菓子メーカー関連会社のレストラン事業部が運営するレストランだ。
和食、洋食、中華、喫茶の4つのセクションと、洗い場、炊飯場に別れていて、お父さんは洋食部に配属されていた。厨房の巨大な空間は仕切りが無く、何処からでも何処のセクションへも自由に行き来出来るようになっていて、その時その時で忙しい部署へヘルプに駆り出された。カレーやハヤシライスは人気メニューで、カレーのルーから手作りする。ハヤシライスに使うエスパニョルソースも何日もかけて作る本格派だ。ほとんどの料理の下ごしらえは、缶詰やインスタントを使用することはなく本格的な手仕事で行われていた。

 

厨房はコックの調理の仕事とお客様を接客するウエイトレス、ウエイターが働くパントリーに別れて分業になっている。厨房とパントリーの境目には長いカウンターカウンターがあり一番奥から喫茶、次が洋食、中華、和食と並んでいた。
お客様がサンプルケースで品定めしてレジで食券を買う。お客様がテーブルに着くと、そのテーブルを担当するウエイトレスがやって来てその食券を受け取って厨房の長いカウンターの何処かのセクションの上に順番に並べられる。コックは順に食券を確認して料理を完成させると、またウエイトレスがお盆や箸、ナイフ、スプンやスープ類などをパントリーで用意されたものをセッティングして仕上げて、お客様のところへ運ぶというシステムになっていた。

グランドシェフは有名ホテルのシェフだった。

 

人員の配置組織は、各部署に調理の責任者としてチーフが一人いてその下に正調理員が2,3名いて更にその下にアルバイトが2,3人、そしてグランドシェフが各部署を統括するという具合だ。
グランドシェフは”第一ホテル”から料理顧問として派遣された初老の紳士風のシェフが就いていて調理作業やメニューの監修をしていた。
パリッと糊の効いた真っ白なコックコートに40センチはあるだろうコック帽を頭に乗せ、真っ白なチーフタイをしめ東京言葉でスマートにテキパキと指示を出すその様子は正にホテルレストランのシェフらしい威厳のある姿だった。そのレストランとしての料理の品格をも作り出していたのだ。

 

お父さんはアルバイトだったから、料理らしいものは作らせてもらえなかったが、何でもやらせてくれたし、基本も教えてもらえたので、コック修業とまでは行かないが、仕事としてはまあ、気にいていた。ここで長く働いて、正社員になろうなどという欲は無かった。その頃はまだラーメン屋さんをやる夢を追っていたからだ。ただラーメンや屋をやるにしても、ラーメンだけではなく料理全般にの知識、技術を身に着けたいと思っていた。

 

厨房は日曜日になると戦争だ。レストランのホールはかなり広くて300人か400人くらいは入れるだろうか、お昼時は満席状態になるからそりゃあ戦争だ。レストランの花形はなんと言っても「オムライス」だ。お父さんの仕事はまずオムライス用のチキンライスを作る。3升は入るくらいのジャーポット2本に満タンにフライパンで何度も炒め合わせる。45センチはある一番大きなフライパンに油と玉ねぎのスライスとハムの細切りを入れたら少し炒めて10人前ぐらいのご飯を加えて塩コショウしてケチャップを入れて味を整える。更に火入れしてアツアツになったらジャーに放り込む。フライパンの重さにご飯の重さを合わせるとフライパンを両手で持ってもご飯を煽り混ぜるのはなかなか大変エネルギーを要するがこれを何度も何度も繰り返すのだから、ジャー2本が一杯になる頃には両腕はパンパンになり全身汗でぐっしょりになり疲れ果ててしまうほどの大仕事だ。

 

オーダーが入るとコックさんがオムライス用の小さいフライパンで薄焼き卵を焼く、その上にお父さんが煽ったチキンライスを載せて卵を巻きつけ菜箸を添えてフライパンを上に巻返すようにするとライスと卵がクルリと反転させて、きれいなラグビーボールのような楕円に形を整える。野菜サラダを盛り付けた皿にオムライスをするりと滑り込ませて上にケチャップを添えて出来上がりだ。

 

また、ライオンズクラブのパーティーが催されたことが何度かあった。各地のライオンズクラブの会員たちが集まって宴会を開くのだ、このときはグランドシェフの出番だ。パーティー料理は本格的な質の高い料理が出されるので、アルバイトのお父さんが作ることは無かったが、その工程ややり方を身近で見られるだけでも滅多に出来ない経験をさせてもらった。

 

道産子ラーメン店での出来事

 

このアルバイトに就く前に、”どさん子大将チエーン”グループのラーメン店でしばらく働いていた。この頃は、ラーメン作りの修業はある程度進んでいたからベテランのつもりでいた。その頃は”どさん子チエーン”のブーム全盛期で何処の店舗も大繁盛していた。ある時、チエーン店のグループの支店にヘルプで呼ばれて手伝いに行くことになった。

その支店に行くのは初めてだったが、チエーン店の仕事は何処も内容は同じなので戸惑うこと無くスムースに仕事をこなす事が出来た。午後も3時頃になって客足が途絶えると、店長は「今日はもうおしまいにしよう」と言って店をしめてしまった。そしておもむろにストッカーからビールを取り出し休憩室で飲み始めたのだ。一緒に飲むよう促されたが、とっさに「酒は飲めないので!」と嘘を言って飲まなかった。そして、ひとしきり世間話をして退店した。
正直、昼間っから酒を呑むなんてとても出来ないし、それに第一、店の商品に手を付けて売上にした様子もない。雇われの店長の身分でまるで社長か経営者の如くの振る舞いはとても受け入れ難かった。

後日、グループの社長にその出来事を報告した。何日かして本店で仕事をしていた時、その支店の店長が来て烈火のごとく怒りまくって掴みかかってきたのだ。その後どうなったかは想像に難くないだろう。社長は支店長をかばったようだった。何の未練もなかったからすぐにその店を辞めた。食の業界には昔から悪しき習慣が残っていて、食材を横流ししたり、売上を誤魔化したりして私利私欲に走る等の不正を働くものも少なくなかった。自分だけはそんな仲間には入りたくなかった。その後、職安に行ってもラーメン屋の求人は無かった。ラーメンという狭い世界の中だけの知識や技術だけでは、この食の業界を生きられない、もっと幅広い料理全般の知識を身につけないといけないと感じていた。そして、職安で紹介されたデパートのレストランのアルバイトをすることになったのだった。

タイトルとURLをコピーしました